妊娠中の食生活について


左の画像は産院でいただいたガイドブックに載っているフードピラミッドです。下層から優先して食べるように勧められています。私は、妊娠前から「ゆる玄米菜食」にしていたので、ほとんど変わりません。

ただし、つわりの時はとにかく変なものばかりを食べたくなっていました。私の場合、つわりで吐いたり食べられなくなったりすることはなく、とにかく気持ち悪いのをどうにかするために何かを口にしたくなっていたように思います。
そして、そんな時に決まって頭に思い浮かぶのは、フライドポテトやラーメン、カレーといった味の濃いもの。マクドナルドの前でいつも立ち止まって「どうしよう・・・食べようかな」と迷っていました。笑

もちろん、そういった油や塩分の多いものは身体に悪いとわかっているし、食べた後具合が悪くなるので、実際に食べるのは月に一度ずつくらい、最小限に抑えるように頑張りました。
ある日の夕食
【ある日の夕食:玄米ご飯、切り干し大根の煮物、きんぴらごぼう、れんこんボール、金時豆、プチトマト、梅干し、漬け物、イチゴ、ルイボスティー】
妊娠17週に入り、これから益々お腹が大きくなってきます。栄養をバランス良く上手に摂って、ストレスを溜めないように息抜きしながら、のんびりいきたいと思います。

タバコを止めることと人生の苦を取り除くこと

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ヨガをするなら、タバコをやめるべきですか?


先日、約18年ぶりにある同級生2人と食事をしました。楽しく食事を済ませ、食後のお茶を飲みながら話が弾みます。
ふと、一人の友達を見るとなんだか”心此処にあらず”。落ち着きのない友達は「タバコが吸いたい。」と言いました。ああ、なるほど。私たちは喫煙はしないので、まったく気づきませんでしたが、食後の喫煙が習慣になっている彼女にとって、禁煙のお店はあまり落ち着かないようでした。とりあえず、出ようかと言って席を立ち店を出ました。
彼女は「私もタバコを止めたいけど、やめられない。」と言いました。
そして可哀想に、なかなか見つからない喫煙所(もうほとんどありませんね)をソワソワしながら探し求めました。一緒にタバコを吸える場所を探しましたが、結局見つかりませんでした。
でも、実はその気持ちよく分かるんです。私も以前は彼女と同じ喫煙者でしたから。

タバコを止める方法

本気でやめたいと思っているのなら、その苦しみから解放されたいと心から思っているのなら、絶対に止められます。しかも我慢せず苦しまずに。

私は、約10数年間「やめたい」と思いながら吸い続けました。どうしたらやめられるのか、この苦しみから早く解放されたいと思いながらズルズルと続けていました。
タバコがどれだけ身体に悪いのか、どれだけ環境を悪くしているのか、どれだけ人に迷惑をかけているのか。そんなことは百も承知です。吸ったときの、頭からサーッと血が引いていく病的な感じ、目つき、肌の色つや、階段を登った後のきつさ、ご飯を味わうことよりも食後の喫煙を楽しみにしているという滑稽さ、タバコが切れそうになった時の焦り、常に喫煙所を探してしまう強迫観念・・・そのようなことが自分にとってどうでも良いことならば苦しむことはありません。ですが私にとっては、その全てが嫌悪するものでありました。ですから罪悪感は日に日に大きくなり、しょっちゅう悪夢にうなされました。
ある日、ふと思いました。
「そもそも吸いたいと思わなければ苦しむ必要はないのに。」
私はそこから、自分が本当に吸いたくて吸っているのかどうか、一本一本を確かめながら吸うように努めました。
味はどうなのか、煙の匂いはどうなのか、ヤニで黄色くなる歯、指の匂い、服についた匂い、口臭。
そうやって客観的に自分を見つめながら吸い続けていると「ああ、私はやっぱり吸いたくないのに無理して吸っていた」ということを実際に感じることができるようになってきます。今までは「吸いたい」「美味しい」と思い込んでいただけなのだとはっきり分かってきます。
そして、タバコに対する執着が少しずつ薄れてきます。一旦薄れてきたらそれが完全になくなるまでに、そう時間はかかりません。
「よし、今から止めよう」
箱に残っているタバコも全部そのままゴミ箱に捨てて、ライターも灰皿も処分して、スッキリ。そこから一瞬たりとも「吸いたい」と思ったことはありません。長年の苦しみから解放され、とても清々しく身体もきれいになっていくような感覚が嬉しくてたまりませんでした。

苦しみを取り除くことができるのは「平静さと客観視」だけ


禁煙は、我慢したり意思だけでしようと思っても無駄です。必ず失敗します。ですが、そもそも吸いたいと思わなければ、我慢する必要はないので失敗はしません。自然に吸いたくなくなるまで、何度も何度も繰り返し、客観的に自分を観察しながら吸ってみてください。そうすれば、そのうち自分の矛盾に気づき、平然と残ったタバコをゴミ箱に捨てることができるようになります。
失敗することが怖いなら、誰にも「禁煙する」と言わずにこっそりやるといいでしょう。
このことは、人生における苦しみを取り除いていく過程と同じです。自分が持っているネガティブなものの根本原因をひとつひとつ丁寧に解放していきます。長年絡まり続けた糸を一本一本丁寧にほどいていく感じです。それには、意志の強さや性格、過去の経験は関係ありません。ただ平静に客観視するだけでそれが実現できるのです。自分の手で、様々な問題を解決できるということが分かったら、人生はとても楽になりますね。

アシュタンガヨガ:シークエンス(順序)の重要性


上のポーズは、「カポターサナ(鳩の王)A」というポーズです。
(高血圧、低血圧、片頭痛、不眠症、腰または首に深刻な故障がある場合はしてはいけません。)
アシュタンガヨガは、あらかじめポーズの順序が決められており、その順番どおり流れるように進めていくタイプのヨガです。
プライマリーシリーズから、インターミディエイトシリーズアドバンストA〜Dと、徐々に難易度が上がっていきます。
 
初心者であれば、プライマリーの半分「ハーフプライマリー(太陽礼拝〜スタンディング〜シッティング〜逆転のポーズ)」から始めます。
順番通りに、最初はここまで、そして次はここまで行きましょう。ここまでできるようになったら、じゃあ、次はここまでやってみましょう・・・という風にポーズが増えていきます。
 
この「順番通りに」というのが、重要なポイントです。

プライマリーシリーズ〜セカンドシリーズまで

上の写真のカポターサナというポーズ、セカンドシリーズの途中に出てくるポーズ(最初から数えると90番目)なのですが、プライマリーシリーズを練習していた少し前までの私にとっては「ありえない」ポーズでした。
このポーズは、太腿前面〜股関節〜お腹の筋力の強さ、身体の前面や背面の柔軟性、胸やお尻の開き(緩めること)、そして好奇心と少しの勇気(笑)があれば可能なポーズです。

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ここに至るまでに、さまざまなポーズを通り抜け、挫折と成功を繰り返しているうちに自然と身体の準備ができてきます。
上記のポイントを、その前に出てくるポーズによって、ひとつひとつ鍛えていっているのです。
例えば、
上向きの犬のポーズで、背屈への慣れを促し、

スタンディングのポーズで足腰を強化し、

バックベンド(ブリッジ)で身体の前面と背面の柔軟性を鍛え、

胸やお尻の開きを覚える。
そしてインターミディエイトシリーズに入れば、その前半は、ねじりや後屈系のポーズが続きます。
 
そうしているうちに、カポターサナが可能な身体へと変化していくのです。
そしてそれらを自分の身体と心で体験した時「ああ、だからこういう順番なんだな」と気づかされます。

ものごとをうまく進めるには「順序」が大切

 
アップルコンピューターの元社長で2004年から日本マクドナルドの代表取締役兼CEOとなった原田泳幸さん。

7年間既存店売上が落ち続けるというどん底にあったマクドナルドは、原田さんが就任した途端に業績は反転、華麗なV字回復を実現させました。
先週の日曜日朝の番組に原田さんがゲストで出演しており、この成功の理由は「正しい順序」に沿った経営方法にある、と解説していました。(「成功を決める「順序」の経営 ―勝つためには戦略の順番を間違えるな」原田泳幸 (著) 参照。)
すべてにおいて、「正しい順序」は重要です。仕事も勉強もスポーツも、そして人生そのものも。もし今、何かで行き詰まっておいでなら、少し冷静になって「正しい順序」でやってきたか見直して、間違っていれば、そこからもう一度やり直してみるといいかもしれません。
急がば回れ、です。

カリスマ、仏陀。

Wat Chedi Luang(ワット・チェディ・ルアン)の涅槃仏
Wat Chedi Luang(ワット・チェディ・ルアン)の涅槃仏

タイ人の95%が仏教徒だそうです。
宗教というのは、とてもややこしいところがあると思うのですが、「信仰」という行為に振り回されなければとても便利なツールだと思います。
そもそも、人間が感情や過去や自分の周りに起こる出来事に振り回されずに、心を自ら統御できるのであれば、「神」や「仏」や「宗教」などというものは存在しなかっただろうと思います。ですが、人間はどんどん鈍くなっていき、そういったツールがなければ心を統御できないようになってしまったのです。

仏陀(釈迦、ゴータマ・シッダールタ)は自分の説法の中で、唯一神の存在を認めてはおらず、信仰対象に執着せず、自分(ブッダ)の言葉にすら執着してはいけないよ、と言っています。それはつまり、自分の教えは「宗教」ではなく、心を自ら制御するトレーニングメソッドであるので、自分を神や仏のように崇めるというのは違うということなのです。

私はこの言葉にとても感銘を受けました。私がヨガやタイマッサージに深い興味を抱いたのも、心を統御するトレーニングをしたかったからなのですから・・・。それ以来、ブッダは私にとってもカリスマ的存在になったのです。
それでも現代では、ブッダは多くの弟子やファンから神格化され 、タイでも多くの寺院で崇められています。チェンマイにもどこかしこに寺院があり、金ピカの仏像がたくさんあります。それは仕方の無いことかもしれませんね。なぜなら先述の通り、そういうものがなければ人は自分の心を統御できないからです。

ちなみに、私がタイで訪れた寺院の中で一番のお気に入りは、Wat Inthrawatというところです。街から少し離れた静かな場所にあって、質素で素敵な寺院でした。唯一もう一度訪れたいと思うお寺でした。

ヨギーならベジタリアン(菜食主義)じゃなきゃダメですか?

ヨガを始めると、身体のことを常に意識するので食べ物にも気を使うようになります。

何を食べたら良いのかなー?とヨガの教本をひらくと、決まってベジタリアンになることを勧める言葉があります。

大抵の方はそれを鵜呑みにして、なぜベジタリアンになることを勧められるのかよく考えもせずに動物性食品を摂らなくなります。そして、明確な理由も言えないまま、私はベジタリアンです、と宣言している人が多いなと感じます。(ベジタリアンとは

ちなみにインド人が菜食主義なのは、暑くて肉が腐りやすい気候で、宗教的にもそもそも肉を食べない文化に生まれ育ったことが主な理由です。(大昔はヒンドゥー教でも肉を禁じていなかったと書かれている文献もあります。)

だからインド人がヨギーに合う食事として紹介した中に肉が入っていないのは当たり前のことなのです。

私の場合はベジタリアンではありません。ビーガンでもないです。

基本的に、化学物質の入った添加物やオーガニックでないもの、加工品などをできるだけ省いた、健康で栄養のある食べ物(玄米、鶏肉、野菜、豆類、発酵食品、ナッツなど)を素材から自分で調理して食べています。

外食や買い食いは基本しません。

もちろん、ヨガを始めた頃は訳もわからず、動物性の食べ物を食事から省いた時期もありましたが、陰性の私の体質には合わず、陽性である肉も必要だということがわかり、それ以来積極的に摂るようにしています。

ちなみに、アシュタンガヨガの八枝則の中の「ヤマ」にはアヒムサ(不殺生)というルールがありますので、生き物を殺さないという戒めは守れていませんが、それを言うなら野菜や果物、穀物なども全て生き物。菜食主義であっても守れていません。動物はダメだけど植物は殺して良いなんて矛盾してませんか?

人間は生き物です。ほとんどの生き物は他の生き物を得ることで生きています。そのようにすることが自然です。

ですから、生き物を食べることに関しては、不殺生の例外として良いはずだと個人的には思っています。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

もちろん菜食主義で生きたいのであれば、それは個人の好みですから自由にされて良いかと思います。

ただ、何事もバランスが大事。菜食主義でいることで、自分の周囲との関係や、身体的、精神的・情緒的に悪影響を及ぼし、良い生き方ができないようでは、本末転倒です。

また、それが自分の体質や風土、文化に合っていなければ、支障をきたすこともあり、病気になる方もいます。ですので、試験的にある一定期間色々な食事法を試してみて、合わなければ潔くやめて、自分に合う食事法を見つけてほしいと思います。