アシュタンガヨガの性質

先日ある講義で、「アシュタンガヨガは、その独自の呼吸法で体の中に”火”を起こすので、怒りの感情が出やすくなる」と聞きました。「みんなもそうじゃない?」と聞かれた時に、もちろん、同感した方もいらっしゃいましたが、「う〜ん、そうかな〜?」と首をかしげる方がかなり多かったように感じます。私自身も正直言って、そうでもない、と思いました。その様子を見て先生が「あれ?おかしいな。みんな、どういう練習してるの」と笑っていました。そして、先生が体験した、アメリカのヨガスタジオでのピリピリした雰囲気、他の生徒さんや先生同士の険悪な雰囲気、他人に対して、ちょっとしたことで怒りが生じ怒鳴り散らした経験を、おもしろおかしくお話ししてくださいました。

ここまでの話を聞くと、「アシュタンガヨガってなんのためにするの?」「怒りが生じるのなら、しない方がいいのでは、、」「ヨガってそもそも穏やかな心を目指すものでしょう?」と思うのではないでしょうか。ですが焦ってはいけません。このお話には、続きがあるのです。

先日、たまたま昔のヨガ雑誌を引っ張りだして見ているとこんな記事がありました。


(2006年11月10日発行 Yogini vol.9より)

『エネルギーは自分の意識の方向に流れる』

私はここで、腑に落ちました。「怒りが生じる」ことにそれほど同感できなかった人は、もしかしたら、別の感情(嫉妬、慳貪、慢・・・etc)が表面化しやすくなっているのではないでしょうか?

そういえば、先生はこうもおっしゃっていました。「アシュタンガヨガは、体の中に火をおこして、ネガティブなエネルギーをどんどん燃やして、そして最後には浄化されるシステム。つまり最終的には、ネガティブな感情が生じにくい穏やかな心を持てるようになる。そういうアプローチをしているだけで、最終的にいきつくところは、他のヨガと同じ。サマディ(三昧、解脱)が目的。」

要は、アシュタンガヨガというのは、荒治療的な性格を持つヨガなのですね。自分の持っているネガティブなエネルギー(心を煩わせ苦しめる煩悩)が表面化するわけだから、とってもわかりやすいし対処しやすい。一番タチが悪いのは、自分のネガティブな感情に目を向けず、ごまかし続けることにより、何が自分を苦しめているのかがわからなくなってしまうこと。

いずれにせよ、このYoginiの記事にも書いてあるように、普段の意識や自分の煩悩の性質が「その先」を決めるわけだから、気をつけなければいけないな、と思います。ヨガの実践に本気で取り組むのであれば、必ずアーサナの練習だけではなく、ヨーガ・スートラ(ヨガの8支則について)を読んだり瞑想をしたりしなさいと言われるのはそういう意味があるのだな、と改めて思い知らされる出来事でした。

カリスマ、仏陀。

Wat Chedi Luang(ワット・チェディ・ルアン)の涅槃仏
Wat Chedi Luang(ワット・チェディ・ルアン)の涅槃仏

タイ人の95%が仏教徒だそうです。
宗教というのは、とてもややこしいところがあると思うのですが、「信仰」という行為に振り回されなければとても便利なツールだと思います。
そもそも、人間が感情や過去や自分の周りに起こる出来事に振り回されずに、心を自ら統御できるのであれば、「神」や「仏」や「宗教」などというものは存在しなかっただろうと思います。ですが、人間はどんどん鈍くなっていき、そういったツールがなければ心を統御できないようになってしまったのです。

仏陀(釈迦、ゴータマ・シッダールタ)は自分の説法の中で、唯一神の存在を認めてはおらず、信仰対象に執着せず、自分(ブッダ)の言葉にすら執着してはいけないよ、と言っています。それはつまり、自分の教えは「宗教」ではなく、心を自ら制御するトレーニングメソッドであるので、自分を神や仏のように崇めるというのは違うということなのです。

私はこの言葉にとても感銘を受けました。私がヨガやタイマッサージに深い興味を抱いたのも、心を統御するトレーニングをしたかったからなのですから・・・。それ以来、ブッダは私にとってもカリスマ的存在になったのです。
それでも現代では、ブッダは多くの弟子やファンから神格化され 、タイでも多くの寺院で崇められています。チェンマイにもどこかしこに寺院があり、金ピカの仏像がたくさんあります。それは仕方の無いことかもしれませんね。なぜなら先述の通り、そういうものがなければ人は自分の心を統御できないからです。

ちなみに、私がタイで訪れた寺院の中で一番のお気に入りは、Wat Inthrawatというところです。街から少し離れた静かな場所にあって、質素で素敵な寺院でした。唯一もう一度訪れたいと思うお寺でした。

ヨギーならベジタリアン(菜食主義)じゃなきゃダメですか?

ヨガを始めると、身体のことを常に意識するので食べ物にも気を使うようになります。

何を食べたら良いのかなー?とヨガの教本をひらくと、決まってベジタリアンになることを勧める言葉があります。

大抵の方はそれを鵜呑みにして、なぜベジタリアンになることを勧められるのかよく考えもせずに動物性食品を摂らなくなります。そして、明確な理由も言えないまま、私はベジタリアンです、と宣言している人が多いなと感じます。(ベジタリアンとは

ちなみにインド人が菜食主義なのは、暑くて肉が腐りやすい気候で、宗教的にもそもそも肉を食べない文化に生まれ育ったことが主な理由です。(大昔はヒンドゥー教でも肉を禁じていなかったと書かれている文献もあります。)

だからインド人がヨギーに合う食事として紹介した中に肉が入っていないのは当たり前のことなのです。

私の場合はベジタリアンではありません。ビーガンでもないです。

基本的に、化学物質の入った添加物やオーガニックでないもの、加工品などをできるだけ省いた、健康で栄養のある食べ物(玄米、鶏肉、野菜、豆類、発酵食品、ナッツなど)を素材から自分で調理して食べています。

外食や買い食いは基本しません。

もちろん、ヨガを始めた頃は訳もわからず、動物性の食べ物を食事から省いた時期もありましたが、陰性の私の体質には合わず、陽性である肉も必要だということがわかり、それ以来積極的に摂るようにしています。

ちなみに、アシュタンガヨガの八枝則の中の「ヤマ」にはアヒムサ(不殺生)というルールがありますので、生き物を殺さないという戒めは守れていませんが、それを言うなら野菜や果物、穀物なども全て生き物。菜食主義であっても守れていません。動物はダメだけど植物は殺して良いなんて矛盾してませんか?

人間は生き物です。ほとんどの生き物は他の生き物を得ることで生きています。そのようにすることが自然です。

ですから、生き物を食べることに関しては、不殺生の例外として良いはずだと個人的には思っています。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

もちろん菜食主義で生きたいのであれば、それは個人の好みですから自由にされて良いかと思います。

ただ、何事もバランスが大事。菜食主義でいることで、自分の周囲との関係や、身体的、精神的・情緒的に悪影響を及ぼし、良い生き方ができないようでは、本末転倒です。

また、それが自分の体質や風土、文化に合っていなければ、支障をきたすこともあり、病気になる方もいます。ですので、試験的にある一定期間色々な食事法を試してみて、合わなければ潔くやめて、自分に合う食事法を見つけてほしいと思います。