那珂川市の中山間エリア「南畑」へ移住します。

9月ごろから少しずつ周囲の竹林や荒れた庭の整備を始め、水道の配管など家のライフラインも整いました。
できるだけ費用をかけずに、引っ越しもお友達や家族に協力をお願いして、自分たちで荷物を運ぼうという計画です。
これまで、たくさんの時間と労力をかけ、たくさんの人たちに協力していただいて、本当にやっと!!念願の移住ができることになりました。
↓↓↓ 苦労の様子が気になる方はこちらの記事をご覧ください。

課題は山積み!?タダ家の現状とこれからやることリスト。


力を貸してくださったみなさま、本当にありがとうございます。

人間として、生物として、それらしい生き方。

私たちが、わざわざ不便なところに移り住むのは、「暮らし」そのものを大切にしたかったから。
便利でスピーディな都会の暮らしはとても楽でしたけど、生活がルーティン化して、何か色々なものを見落としたりおろそかにしているような気がしていました。そしてなんだかずっと不安がつきまとう日々でした。
こういう不便極まりない暮らしの中であれば、もっと大切なものを大切に、丁寧に暮らしていけるような気がしています。
そしてなんだかとても安心できる感覚・・・。
とてもワクワクしています。

「ヨガは人生そのもの」

さて、これまで一緒に学んできた方ならもう覚えていらっしゃると思いますが、「ヨガ」の実践は、「何があっても冷静でいられる心に鍛える練習」でしたよね?
自然の中にいると、これまでの日常生活にはなかったようなハプニングが結構起きます。
いろんな、見たことのないような虫や蛇やトカゲがとにかく多いし、イノシシやタヌキもよく出るし(人間より動物の方が圧倒的に多い)、雨もよく降ってくるし、寒い。
上下水道もきてなくて、ガスもない家。
そんな場所で毎日生活するとなると、それだけでヨガの実践できちゃいますよね。笑
これからは、より「自分たちでなんとかする、なんでもできる」という思考で生活することになります。楽しみです。

今後は、ヨガのアサナや知識だけでなく、こういう風変わりな(笑)人生そのものも、みなさんと共有できたらいいなと思っています。
↓↓↓ 我が家の暮らしは夫が運営するYouYubeチャンネルでご覧いただけます。↓↓↓
南畑ヒュッテ nanpata hutte

是非、お楽しみください^^

2019年のスタートは祖母山(大分・宮崎)から

2018年末〜2019新年年跨ぎ登山&キャンプ

今回の年末年始は、日本百名山の一つである祖母山(標高1,756m)で過ごすことになりました。私や娘にとって未経験の山、しかも雪の中の登山です。まあまあ緊張感ある山行になりそうでしたので準備にも気合が入ります。

「頑張るぞー!おー!」

雪山登山、装備は徹底的に!

冬場は特に装備を徹底しないと後悔します・・・。服装ですが、娘のスピードで歩く冬山では、全く汗をかかないので、私のトップスは、メリノウールインナー→ダウンジャケット→ウィンドシェル、ボトムスはメリノウールタイツ→トレッキンングパンツです。

娘は、モンベルのインナー上下にユニクロで買った1200円くらいの中綿ジャケットとモンベルのトレッキングパンツ、そしてスカート(寝るときもパジャマの上にスカートを重ね着するこだわり)。
子供ってほんと寒さに強いですね。。。

もちろん、降雪や夜の寒さに耐えられるアウター(娘の場合はモンベルのレインウェア上下)やダウンパンツなどもパッキング済み。

ハードな山行

現在、北谷登山口は工事のため、その2キロ手前の一の鳥居から車両通行止めとなっており、通常よりも無駄に(子供の足では40分〜50分)歩かなければならず、9合目まではトータル5時間くらいかかりました。

画像右側の地面に鹿の足跡!

9合目のテント場へ続く小道。ここまで来る間にたくさんの動物の足跡をみました。そして鹿に計4頭出会いました。

強風で極寒のテント場で一夜を過ごす

ここに寝ます。

夕飯は、カレーメシとどん兵衛のそば。

山小屋には、たくさんの方が宿泊されていました。薪ストーブもありとても暖かいところでしたが、私たちはテント泊。夫がテントを張る時、私と娘はガタガタ震えていました。あまりの寒さにここで寝られるかかなり不安になりましたが、テントへ入って風に当たらなければ何とか大丈夫そうでした。

ご飯を食べたら寒くてすることもないので、翌朝の初日の出に備えて、20時半過ぎにはシュラフにもぐり込んで寝ました。私の好きな小説「神々の山嶺」(夢枕獏著)を思い出しました。


翌朝、7時過ぎの日の出に間に合うようにと、山頂に向かいましたが、娘がいるので間に合わず・・・。ですが、美しい景色は十分堪能することができました。大満足です。

雲海と初日の出。

下山時は雪も降っていたので寒いし、お腹も空いて大変だったろうと思いますが、娘は本当によく頑張りました。

しりとりをしたり歌を歌ったり、よくわからない言葉遊びやゲームをしながら元気に登りきった娘のたくましさに、我が子ながら、またまた感心しました。今年も幸先良いスタートとなり、嬉しい限りです。本年も、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

鹿児島遠征のはなし(大浪池〜韓国岳登山&キャンプ)

少し前の話になりますが、家族で鹿児島へ遠出してきました。
初日は午前中から出かけて、宮崎のえびの高原にあるキャンプ場で一泊し、翌早朝、車で10分くらいのところにある大浪池登山口から入山。

どんぐりがたくさんありました。

崖の上から大浪池を覗き込む。スリル満点!!

池の向こう側にそびえ立つのが目標の山「韓国岳」

登山口からこの池まで来るのに、1時間近くかかったでしょうか。少し疲れた様子の娘に、
「今からあの山に登るんだよ〜」
と、父の声。
娘は一瞬、えっ?!嘘でしょう?!という顔をしましたが、いつものこと。
どんぐりだらけの獣道をしりとりしながら2時間くらい歩いて、やっと韓国岳麓。
山頂近くはこんな岩だらけの登りづらい斜面

振り返れば、さっきの大浪池が!美しい〜〜〜!!

娘も、「えっ?!こうねちゃん、あそこからきたの?!」となんども振り返りながら興奮気味。疲れてるのに、ついつい急いで登ってしまいます。
山頂で記念写真

風が強く、少し寒かったけど、とても良いお天気で気持ちが良かったです。
山頂でお昼ご飯を食べたり撮影したり、で、1時間近く休憩したかな?
帰りも足がガクガクしながら一生懸命下山しました。
朝7時に出発して4時過ぎに戻ったので、トータル9時間くらいは山の中にいたのではないでしょうか。
娘のペースに合わせて歩くので、私たちは時間がかかりましたが、山歩きに慣れた大人の足ならその半分くらいの道のりだと思います。アップダウンもそこまでないし、道も綺麗なので家族でハイキング、オススメですよ^^


えびの高原キャンプ村
私たちはテント泊でしたが、施設も綺麗なところでしたよ!野生の鹿がそこらにいるし、すぐ隣に温泉のある宿泊施設もあるし、アイススケート場もあるし、季節問わず色々楽しめそうです。また行きたいな〜。
指宿休暇村 キャンプ場
登山をした日の夜は、指宿のキャンプ場でテント泊。私たちだけしかおらず、貸切状態。ここでも車で1〜2分のところにある温泉宿泊施設で温泉に入って疲れを癒し、テントに戻って簡単な夕飯を済ませ、おつまみ&ビールを飲みながらみんなでUNOとトランプをして過ごしました。楽しいひと時。

朝のおさんぽ

 
最終日は、鹿児島市内に住む大好きなお友達と駅前でランチして、お宅訪問。少し遊んで、家路に着きました。
とっても楽しい家族旅行となりました。
 

福岡自然農塾で「自然農」と生き方を学ぶ

先日、かねてより、念願だった自然農塾見学会に参加してきました。福岡自然農塾の見学会は、定期的に行われており、一番メインになっている見学会が、2ヶ月ごとに糸島の農園で実施されています。

自然農ってなに?!

自然農とは、耕さない(不起耕)、虫や草を敵としない、農薬肥料を用いない、という三原則に則り、自然の営みに沿った栽培を行います。使う道具は、ノコガマ、スコップ、鍬のみ。草刈りは必要に応じて行いますが、畑に草が生えていることは土の豊かさを現しており、そこに虫たちが活き活きと生きている様子を自然のあるがままの姿とする、「自然に応じる」農法です。

活き活きとエネルギーを感じる田畑の様子

夫と娘もワクワク

タネのおろし方実習

ブロッコリー、白菜、カリフラワー、小松菜などの移植実習

稲刈り実習

藁で縛る

ハザ掛け

“自然”という言葉は、“自(おの)ずから然(しか)らしむる”ということを示しています。 何が自ずから然らしむるのかと言えば、いのちがいのち“自ずから然らしむる”です。 いのちというものに、自然という性質があるということです。

それぞれのいのち自ずから絶妙に然らしむる絶妙の存在であり営みであります。 そのようになっている自然界で、そうしかならない自然なるいのちでありますゆえに、 その営みに添い応じ従う他になく、添い応じ従い任せることによって、最善の結果をもたらしてくれることになります。 自然に添い応じるのが最善、それぞれのいのちに従い任せるのが最善です。

自然農は、こうした自然本来である自然なるいのちの営みに添い、応じ、従い、任せる農です。

(福岡自然農塾「自然農の理」より抜粋)

自然農は「生き方」そのもの

自然農は、本来そうあるはずの生き方そのものだと思います。宇宙の真理、自然の摂理に従い、個々に応じるやり方で、、というのは、実はヨガでも瞑想でも全く同じ考え方なんですよね。

ちなみに個々に応じるというのは、例えば、稲刈りの後の草刈りは、夏草は自然と枯れていくのでそのままでよく、冬草はこれから育てる小麦と競合するので丁寧に刈っておく、というようなこと。闇雲にただ刈れば良いというものではないのです。(自然農では、刈った草もどこにも持ち出さず、作物の周りに満遍なく散らしておきます。それがやがて土へ還り栄養となります。草は敵ではない。)

昔、植物を育てる時「土の表面が乾いたら、水やりをする」と書いてあるので、その通りにしていたのに、根腐れしてしまった・・ということがよくありました。私は植物を育てるのがとても苦手でした。今考えると、実は土の表面は乾いていたけど、少し下の根のあたりは湿り気たっぷりで水は必要ないのに、じゃんじゃんあげていたわけです。何の不思議もない、無知な私が、そうなるようにしていただけです。

かつての私は、植物そのもののことも、その植物がおかれている環境や気候、状況をちゃんとわかっておらず(無知)、ただ、こうするのだという慣例や決まりの通りにすればコトはうまくいくのだと思い込んでいたのですね。

でも今は、もう何年も植物が生きられる世話ができるようになりました。土だけではなく、植物の葉っぱや茎など全体を見て、水が必要そうだなと思えばあげるし、不要ならあげない。そういう判断が自然とできるようになっています。

ヨガも瞑想も自然農も同じ

ヨガや瞑想、そして自然農に触れながら日々を過ごしていれば自然と、観察力、洞察力、真理眼のようなものが養われ磨かれていくような気がしています。それは決して高尚であるとか、すごいでしょ!ということが言いたいのではなくて、本来私たちは当然そういうものであったはずなのだけど、文明の発達によって退化しているということなのです。

縄文・弥生時代の農耕民族なんかは、当たり前のように自然の摂理に従って、自然農で行なっている営みを、ごく自然にしていたのです。「自然農」は、とっても深く、核心に迫る。そういうものを、家族みんなで共有できることが、この上なく幸せなのです。

参考にしている自然農関連の文献