ヨガの最終目標「サマーディ(三昧)」とは

アシュタンガヨガの「アシュタンガ」には、八支則(八つの段階)という意味がありますが、古いヨガの経典「ヨーガ・スートラ」でそのことを詳しく説明しています。

今回は、「サマーディ」について、ヨーガ・スートラなどの経典や私個人の経験を通して、自分なりに気づいたことをお伝えしたいと思います。

「ヨガの八支則」

  • ヤマ(禁戒)・・やってはいけないこと
  • ニヤマ(勧戒)・・やった方がいいこと
  • アーサナー(坐法)・・ポーズの実践
  • プラーナーヤーマ(調気法)・・エネルギーのコントロール
  • プラティヤハーラ(制感)・・外側に向いた五感を閉じて意識を内側へ向ける
  • ダーラナー(集中)・・一点に全集中
  • ディヤーナ(静慮)・・心が動揺することなく一定の状態になる
  • サマーディ(三昧)・・全ての心の作用が止滅した状態

ヨガ初級者はまず、最初の三つの段階の実践を最低10年は日々繰り返さなくては、次の段階へは進めません。とても長い道のりですね。だけどこれが何より大切なことなのです。(「daily practice 「なぜ毎日練習」しなければいけないのか」参照)

ヨガ経典「ヨーガ・スートラ」と「サマーディ」

「ヨーガ・スートラ」は、賢者パタンジャリが説いたヨガ思想を弟子たちがまとめてできた経典です。

そのヨーガ・スートラを翻訳・解説したさまざまな文献がありますが、ヨガの実践をしていない人、やっていても経験が浅い人がそれらを読解することは、なかなか難しいと思います。
ですが、知ろうとすることが大切で、意味はわからなくてもとりあえずスートラに触れてみるということはしたほうがいいと思います。今はまだ理解できなくても、実践を続けていれば必ずそれを理解できる段階に辿り着くので、その時に、ああ、これはこういう意味だったんだ、と気づいたり、深く学ぶことができると思います。

「インテグラル・ヨーガ」という文献がとてもわかりやすくて良かったのでオススメです。

さて、ヨーガ・スートラはいきなりサマーディの説明から始まります。

サマーディとは、

(1-2)心の作用を止滅することが、ヨーガである

心の作用を止滅・・・どういう意味?としょっぱなからつまづくでしょうが、ここから先は、その具体的な内容の説明が続きます。

そして後半の方に、サマーディについてこう記されています。

(1-41) 自然の透明な水晶がかたわらに置かれた物の色や形をとるように、作用が完全に衰微したヨーギーの心は、澄明・静然となって、知る者と知られるものと知との区別のない状態に達する。この瞑想の極点が、サマーディ[三昧]である。

「自然の透明な水晶」というのは、まだ何の印象もついていない赤ちゃんの心のようなものだと思ってください。成長するに従って、環境、親の教育や周囲とのコミュニケーションのなかで、どんどんその水晶の様子が変わっていきます。

  • 良い印象=水晶を磨く行為
  • 悪い印象=水晶を汚す行為

みなさんの心の水晶の透明度はどのくらいのものでしょうか?

ヨガの実践は、この水晶を磨く行為です。ですから、やればやるほど、水晶は透明に近づいて行きます。その水晶が透明なら、ありのままの色や形を映せる、つまり、過去の経験による思い込みや印象が影響しない洞察ができる状態、すなわちそれがサマーディということになります。

最終目標「サマーディ」その後は?

ちなみにサマーディにも小さいものから大きいものまで色々な種類(段階)があり、一度経験したらそこから永遠にそれが続くというものではなく、すぐに元の状態に戻り、そのうちまた忘れた頃にサマーディがやってきて、すぐに元に戻る、というのを繰り返すようなものだそうです。
「サマーディ=最終目標」と聞くと、それを一度でも経験したらゴール!みたいなイメージがありますが、そうでは無いんですよね。

さらに、何か天啓を受けた!神の声が聞こえた!というようなもの(それは妄想に過ぎない)でもなく、サマーディが訪れたら、劇的に人が変わったようになる、というようなものでもありません。

アーサナの実践ですでに経験している小さなサマーディ

ここから私の主観ですが、アシュタンガヨガで日々実践しているアーサナは、最初は簡単なことから始めて、そのうち出来ないことができるようになり、その先に進んで、またできないことに出会い、乗り越えていくことを繰り返します。その間に、内観することを覚え、色々なことに気づき、変化が訪れます。それこそまさに小さなサマーディと言えるのでは無いでしょうか。

そして成長に伴い、肉体的・精神的な能力は大きくなり、次第に普通の人には成し得ないようなこともなし得るようになります。それも徐々になので、大きく動揺することもなく、静かな心で受け入れながら。ですから上級者になる頃には、最初の頃に持っていたわかりやすい「エゴ(他人との比較、優越感や劣等感、自信の有無、喜怒哀楽の感情)」がかなり薄れて、八支則の4段階目以降、エネルギーのコントロール、感覚の制御、集中力、瞑想などの実践が「アーサナの実践を通して」いつの間にか自然と理解できるようになっているのです。そうでなければ上級シリーズの実践はできないはずです。

ちなみに、元体操選手や運動能力が一般的でない人は、難しい上級レベルのアーサナができるケースが多いですが、そこにヨガ的な精神が備わっているかどうかが重要です。本人もそれが普通の人より簡単にできてしまうことで逆にエゴが強くなってしまうなど逆効果になってしまうこともあり、ヨガの効果や恩恵が受けづらく、内面の変化について判断がしにくいので、注意が必要です。

エネルギーの上昇は脳や神経系を刺激する

サマーディの状態になっている時、身体はどういう状態になっているのでしょうか。

ある文献では、サマーディの身体の状態を「自己が消え全てが一体となり恍惚感に包まれる」と表現していますが、一般の人にとってはなんだか怪しいスピリチュアルなもの、という印象を与えます。
ヨガの実践によって体内にエネルギーが作られ、それが骨盤底から頭頂に向かって流れだし、その間にある7つのチャクラを1つずつ開いていきます。開く方法は様々で、アーサナのほかに、呼吸法や瞑想、チャンティングなど色々なことをしながら、最後に頭頂のチャクラが開きます。

その際、脳のある部分が刺激を受けて、脳内に様々な物質を分泌させるため、サマーディ=恍惚感、神秘体験、オーガズムと表現されるような状態になります。

しかし、上記のような状態は、単なる生理現象でしかありません。同じような物質(麻薬によるもの)を脳に与えれば、同じような身体の反応が起こることもわかっていますし、五感を通して神経を刺激して操作することもできるようです。

日々の実践による積み重ねがなければサマーディではない

肉体も精神も鍛えられていない人が、麻薬や科学的な操作を使って脳がサマーディのような状態になったら、それを自分には何か特別な能力が目覚めた、覚醒したと勘違いしたり、その心地よさをまた味わいたいと執着するようになります。そして心が完全に囚われてしまうと破滅します。(数十年前の新興宗教によるテロ事件を参照)

それは本当の「サマーディ=心は、澄明・静然となって、知る者と知られるものと知との区別のない状態」とはかけ離れたものだから当然です。

ですが、精神と肉体を長年のヨガの実践(アーサナだけではなく、ヤマ、ニヤマを守り、エネルギーのコントロール、集中の実践も含む)を通して鍛え、様々な経験をし、知識を得、自分でサマーディの状態を作り出すことが出来るほどの修練者なら、サマーディの状態になっても、それが何ということもないと知っているので、自然なこととして受け流し、修行を続けることができるのです。

ヨガの目的は、「どんなことが起きても常に物事を冷静に客観的に観察できるようになるため」なので、たとえ、サマーディに至ったとしても関係なく、修行を続ける、ただそれだけです。
そのように生きる人の人生は、幸せでないわけがない。と、私なんかは思うのですが、みなさんはいかがですか?

その他の参考書

片鼻交互呼吸のやり方〜自律神経を整えたいなら鼻の穴を制御せよ!

突然ですが、みなさんは鼻の穴について考えたことがありますか?
顔のパーツの中でも目や口や耳に比べると、「鼻の穴?マイナーだな」とちょっと見下して(笑)いるのではないでしょうか?
だけど実は、この鼻の穴、人生を操っていると言っても過言ではないほど重要な役割を担っていたのです。今回は、その役割について、そして、それを片鼻交互呼吸によってコントロールする術をお伝えします。

病人の増加はアンバランスさが原因

ストレスの多い現代社会で、私たち現代人のほとんどは、幼少期の頃から常に活動することを強いられ、休息をとる時間も多くはありません。

心身の病を抱える人が増大しているのは、その忙しさの中で個人の心身や環境がアンバランスな状態になっていることが原因だろうと強く感じています。

何がアンバランスなのか、具体的な例をあげながら細かく説明していきたいと思います。


「二極」のバランス

私たちは、自然界、私たち自身、心の中、あらゆる場所に2つの相反する性質(二極性、二元性)を見ることができます。
例えば、陽と陰、ポジティブ思考とネガティブ思考、男と女、左脳と右脳、交感神経と副交感神経、肉体と精神、意識と無意識、生と死、、、など、色々ありますね。ヨギーにとって身近な「ハタヨガ」 という言葉も、サンスクリット語で「ha」は太陽、「ta」は月、という意味で、この二元性を表しています。

このようなものの二極間のバランスが悪い、つまりどちらかに極端に偏りすぎていると、調子が悪くなったり、心身における様々な病気を引き起こすのです。


もっとヨガ的な話をしますが、人間の身体にはピンガラーイダーと呼ばれる二つのエネルギーの流れがあります。

ピンガラー
動的、活動的、男性的、ポジティブ、陽のエネルギー、光、熱、太陽、蓄積、創造的、組織化、求心性、理性、識別的、論理的
イダー
受動的、女性的、ネガティブ、陰のエネルギー、暗い、冷たい、月、散乱、バラバラ、遠心性、リラックス、無意識、直感的、感情的

このイダーとピンガラーのバランスは、大抵の場合、どちらかに偏っています。しかし、ヨガのアーサナやプラーナヤーマ(調気法)など、様々な行法によって、そのバランスを取って調和させることができます。

そして最終的にその2つが一緒になって、内なる光、潜在能力、至福、真理を明かす、つまりヨガでいうとサマーディ(三昧)の状態を作り出すことができるのです。

ちょっとこれは上級者向けのマニアックな話なので、意味がわからなくても大丈夫です。

さて、自律神経(交感神経・副交感神経)のバランスが悪いと、不眠になったり消化器官の働きが悪くなったり心身に不調が起こる、というのは聞いたことがあるかもしれません。

しかもそれらの神経と脳、内分泌腺など、肉体のあらゆるものは繋がっているので、右脳と左脳の性質のバランス、ホルモン分泌などにも当然影響を与えます。


右脳と左脳のバランス

【左脳(ピンガラーと繋がっている)】
分析、言語的、一時的、部分的、明示的、議論、知性、論理、思考、活動的、発言、ポジティブ、数学、理性、法、客観性、デジタル
【右脳(イダーと繋がっている)】
理解、空間的、「いたるところ」、全体的、暗示的、経験、直観、感情、感覚、受動的、沈黙、ネガティブ、詩、神秘主義、芸術、主観性、アナログ

例えば、活動的でポジティブな傾向が強いが、落ち着きがない人は、ヨガを続けるうちに冷静さや落ち着きが出てきますし、逆に怠そうでいつもネガティブ、、、という人は、活発さが出てポジティブな思考もできるようになる。

また、「私って感覚派だから論理的思考ができないのよね〜」という人も、それができるようになるし、逆に、論理的思考でしか言葉を発することができない人が、理屈ではなく直観的なことを理解できるようになったりする。


このようにしてヨガを習慣的に続けていけば、自然と様々なバランスが整えられていくわけです。じゃあ具体的に何がどうなって整えられるのか。

さあ、ここでやっと登場するのが「鼻の穴」。これが実はヨガを行う上でとても重要なポイントとなるのです。

イダーとピンガラー、もしくは副交感神経と交感神経の活動は、およそ90分ごとのサイクルで自動的に入れ替わっています。

ですが、不健康な生活をしていたり、日々のストレスなどで、そのサイクルは不定期となり機能が低下し、病気を引き起こす原因となるのです。

“ルーマニアのブカレストの鼻咽喉の専門家であるI.N. ライゲ博士は、鼻中隔の歪みや偏向によって、片鼻のみに障害のある、ほとんど400人近い患者らを調査した。博士は89パーセントの患者らが左の鼻の孔を通じてのみ呼吸をし、慢性副鼻腔炎、中、内耳の感染症、嗅覚、聴覚、味覚の部分的、あるいは完全な損失、再発性の咽頭炎、喉頭炎、扁桃炎、慢性気管支炎といった特定の種類の呼吸の病の傾向があるのを見つけた。
また、左の鼻の孔(イダー)でばかり呼吸をする患者は、記憶喪失症、知的衰弱、頭痛、甲状腺機能亢進症、心不全、肝臓の機能の低下、胃炎、大腸炎、消化性潰瘍、便秘、またリビドー減退や卵巣の不規則などの性機能の諸問題といった、鼻からより遠い場所にある場所の幅広い不調和に罹る事が多く、逆に右の鼻の孔(ピンガラー)でばかり呼吸をしている患者らは、高血圧症に罹りやすいという。”

この研究結果からも明らかなように、実は左右のどちらで、そしてどんなバランスで呼吸をするのか、によって、心身の健康状態や思考が変わるというわけです。
いやぁ、ビックリですよね!

だから、ヨガは呼吸が一番大事、とか時間がなければ座って呼吸を整えるだけでもいいよ、とか言われるのですね。
さまざまな呼吸法がありますが、とりあえず私たちが行うのに最適な呼吸法は、片鼻交互呼吸(ナディショーダナーもしくはアヌローマヴィローマ)です。


片鼻交互呼吸のやり方

やり方を載せておきますので、是非やってみてくださいね!

<初心者向けの片鼻交互呼吸(ナディショーダナー)>

軽くあぐらを組んで座り(安樂座)、背筋をまっすぐにする。

右手の親指で右の鼻の孔(ピンガラー)を押さえて、息を左の鼻の孔(イダー)を通じて吸う。吸い切ったらそのまま可能な限り長く息を保ち、その後ゆっくりと力づくにはせずに(親指を離して)右の鼻の孔から息を吐きだす。

今度は〈薬指と小指で左の鼻の孔を押さえて〉右の鼻の孔から息を吸って、自らの力が許す限り息を止めてから、左の鼻より息を吐きだす。力づくではなく、ゆっくりと優しく行う。

この往復を1セットとし、最初は数回から始め、最終的に12回行う。

できれば、早朝の夜明け、昼、日の入りの時、そして夜中、など、1日に4回行う。

(シヴァ・サンヒターより)

<上級者向けの片鼻交互呼吸(アヌローマヴィローマ)>

上記を、手を使わずに意識だけで行う。

意識的に左の鼻の孔から吸って、右の鼻から息を出す。右の鼻の孔から吸って、左の鼻から吐く。これを1回として、4回行ったら、5回目では両方の鼻の孔で同時に息を出し入れし、息の通路が逆Vの字を形成すると想像する。

そして回数を100から0に向けて数える。

(100――左の鼻の孔から入息し、右の鼻の孔から出息する。右の鼻の孔から入息し、左の鼻の孔から出息する。 99――繰り返す。 98――繰り返す。 97――繰り返す。 96――両方の鼻の孔から同時に入息し、同時に出息する。という風に続けていく。)

※正確に数えるのは絶対的に必要であり、間違いが起きたら、100からまた実践をやり直さねばならない。呼吸を数えるのを維持するのは非常に重要であり、それ無しにはアヌローマヴィローマは多くの初心者には強力すぎる行法であり、彼らの意識を無意識へと引きずり込む。この行法の目的はアージュニャー チャクラを無意識、サイキックのレベルで刺激する事にあり、そのため意識の気づきは保持される必要がある。
(クンダリニー・タントラより引用)

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第5章「正しい生き方」

ヨギー、特にアシュタンギーには是非いつか読んでもらいたい聖典「バガヴァッド・ギーター」とは、どんな物語なのか、一体どんなことをどんなふうに多くの人々に伝えようとしているのか、ということを、とってもわかりやすく解説してくれている上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を使って、紹介しています。

をまだ読んでいない方は、そちらからご覧ください。

クリシュナが語る「正しい生き方」とは

さて、ギーター第13章でクリシュナは、正しい生活とはどんなものか、その心得を列挙して説いています。

”慢心や偽善のないこと。不殺生、忍耐、廉直。
師匠に対する奉仕、清浄、堅い決意、自己抑制。”

  • 慢心・・・自分はこれだけのことをしている、、といった気持ちやそれを自慢したり、それに対する反応を他人に期待すること
  • 偽善・・・一見「純粋な目的」に見せながら、不純な動機や利害が隠れている宗教的行為や慈善事業などは有害とされる
  • 不殺生・・・傷つけないこと(身体的暴力、精神的暴力など)
  • 忍耐・・・様々な試練に耐えること
  • 廉直・・・自分の欲望のために嘘をつかない
  • 師匠への奉仕・・・古代インドにおいて師匠とは神に等しい絶対的存在であるため、どんな師匠であってもを尊敬しなければいけない
  • 清浄・・・身体の内側と外側、周囲の環境、心の中全てにおいて清らかであること
  • 堅い決意・・・決意したことを、強い意志を持って持続させること
  • 自己抑制・・・夜出歩かない、酒を飲まない、治安の悪い場所に行かない、自己抑制できない仲間とつるまない、なども含む

アシュタンガヨガやヨーガ・スートラを学んでいる方にはおなじみの「ヨガの八支則」と似ていますね。

古代インドの古い経典に書かれていること全てが、現代に生きる私たちに当てはまる訳ではないのですが、道徳的に当然と思われるものがほとんどなので、理解しやすいかと思います。

さて、第14章〜18章については、難しい内容かつ馴染みが浅いので省略します。

第19章では「三つの構成要素(グナ)」について記載されていますが、この世にある全てのものは、三つの構成要素(純質、激質、暗質)によって構成されており、そのバランスによって、そのものの性質が決まると言われています。このグナについては、過去の記事(ヨガと食の関係)を参照してみてください。

”生命力、勇気、健康、幸福、喜びを増大させ、美味、油質で持続性があり、心地よい食べ物は純質な者に好まれる”

”過度に苦く、酸っぱく、塩辛く、(口などを)焼く、刺激性で、油気がなく、ヒリヒリし、苦痛と憂いと病気をもたらす食物は、激質的な者に好まれる。”

”新鮮でなく、味を失い、悪臭あり、前日に調理された、また食べ残しの、不浄の食べ物は、暗質的な者に好まれる”

ギーターでは、このような「好まれる」といった表現をされていますが、口にするものの性質がそのまま私たちの性質(人格)を決めているとも言えます。

栄養のバランスが取れた、和食のような純質で優しい食事をしていると、心が穏やかでまろやかになるでしょう。

塩気の多い居酒屋のような食事や、辛くて刺激の強い食べ物を毎日食べていたら、興奮したり怒りっぽくなったりします。

添加物だらけで製造から時間が経過したスーパーのお惣菜やコンビニ等の弁当を毎日のように食べていると、ダラダラ怠けやすい性質になっていきます。

もちろん、絶対に激質的な物や暗質的なものを食べてはいけないとは言いませんが、可能な限り、純質なものを口にするようにすれば、私たち自身の性質も純質なものと変わっていくことは間違いありません。これは実感として多くの方が証明しています。

食べ物については、とてもわかりやすい例だと思いますが、生活環境も同じです。

太陽が出ている間に活動し、暗くなれば休む、暗質な人たち、激質な人たちの中に入らない。

というようにすれば、どう考えても健康上や人間関係のトラブルが激減するはずです。

このような思想に従うことで、自ずと正しい生き方ができると、教えてくれています。

さて、「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典ということで、全5章に渡って「バガヴァッド・ギーター」を紹介する記事を書いてみました。いかがだったでしょうか?

現代社会に生きる私たちにとって、馴染みやすいと思われる内容のみを取り上げていますので、もしもっと深く知りたいなと思われた方は、今回参考にさせていただいた上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を是非読んでみてくださいね!

オススメの文献

 

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第4章「調和のとれた生活」

ヨギー、特にアシュタンギーには是非いつか読んでもらいたい聖典「バガヴァッド・ギーター」とは、どんな物語なのか、一体どんなことをどんなふうに多くの人々に伝えようとしているのか、ということを、とってもわかりやすく解説してくれている上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を使って、紹介しています。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 序章
「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第1章
「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第2章「不滅の存在」
「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第3章「平等の境地」
をまだ読んでいない方は、そちらからご覧ください。

 

さて、前章の最後にお伝えした「ヨーガのもとに行為を行う」とは、具体的にどうすれば良いのでしょうか。

仕事や家庭を大切にし、社会的な義務を果たしながら、ヨーガの実践(アーサナ、呼吸、瞑想など)を日常的に行い、常に学びを深めようと努める(常修)ほか、自分に与えられた役割(行為)を、その結果に執着せずに行うということ。

そして、その行為は”絶対者に捧げるもの”でなければならないとされています。つまり、自分にとっての利益のためではなく、神に捧げものをする様な気持ちで行為を行いなさい、ということです。この辺りはちょっと難しい内容なので、詳しく知りたい方は、上村さん著の「バガヴァッド・ギーターの世界」で、ご確認いただければと思います。

そして、バガヴァッド・ギーターでは、具体的な生活の仕方についても言及しています。

それはズバリ『調和のとれた生活』をすることから始まります。

食べ過ぎる者にも、全く食べない者にも、睡眠を取り過ぎる者にも、不眠の者にも、ヨーガは不可能である。
節度を持って食べ、散策し、行為において節度を持って行動し、節度を持って睡眠し、目覚めている者に、苦を滅するヨーガが可能である。

ギーターで書かれていることは、意外と常識的です。

ゴータマ・ブッダは苦行は意味がないと悟って、断食や睡眠をとらない、などの苦行の一切をやめ、瞑想を行い解脱しました。

また、インドの伝統的な医学アーユルヴェーダでは、食べ過ぎはよくないが、極端な断食はするべきでないとしています。また、食後に散策することを勧めています。睡眠についても同様で、寝すぎも不眠もよくない、としています。

当然ですが、なんでも極端なことをすると、健康を害し体が衰弱するので、体力も気力も失います。

そんな状態でヨーガができるはずありませんから、節度を持って、調和のとれた生活をして、心身を健康に保つことが、「苦を滅するヨーガ」を実現する必須条件とされているのです。

この様にして、ヨーガという絶対の境地を目指す求道者は、そうではない苦行者や知識人や祭式を行うものよりも、優れているとされます。

ヨーガのもとに行為を行うことはつまり、心身を健康に保ち、調和のとれた平和な暮らしを送れる様に努めることとも言えますね。

病気もせず、対人トラブルもなく、精神も安定して、何かに縛られることなく自由な生き方ができる。これ以上幸せなことはありませんね。

次回は、ギーターの中でクリシュナが説く、「正しい生き方」について触れてみたいと思います。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第3章「平等の境地」

ヨギー、特にアシュタンギーには是非いつか読んでもらいたい聖典「バガヴァッド・ギーター」とは、どんな物語なのか、一体どんなことをどんなふうに多くの人々に伝えようとしているのか、ということを、とってもわかりやすく解説してくれている上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を使って、紹介しています。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 序章
「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第1章
「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第2章「不滅の存在」
をまだ読んでいない方は、そちらからご覧ください。

 

そもそもインドでは、良い行為を行えば良い結果を生み、悪い行為を行えば悪い結果を生む、と考えられてきました。これを「カルマ」(漢訳仏典では「業(ごう)」)といいます。

初期仏教など、修行に励むために一般の社会を捨てることを勧めている宗教もあったようですが、ヒンドゥー教や「ギーター」においては、社会的な義務を果たすこと、全うすることを重要視しています。

しかしながら、社会的義務を果たすことによって、罪悪を犯すことになってしまう人も、中にはいます。

アルジュナのような戦士、軍人などは、戦いの相手を殺すことになるからです。

さて、自分は一体どうすれば良いのかを問う戦士アルジュナに、クリシュナはこう答えます。

苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。

この世の全てを、平等のものと見れば、行為の結果に縛られず、苦しむことがないというのです。

ギーターの中で非常に有名な句があります。

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機にしてはいけない。また、無為に執着してはならない。

無為に執着する、とは、例えば修行のために社会生活を捨てる、などの行為を指しています。ヒンドゥー教の考え方として、人は「学生期(勉学に励む)」「家長期(家庭を持つ)」「林住期(森に隠遁)」「遊行期(聖地巡礼)」という「四住期」を経ることが理想的な生涯とされるからです。

さて、「成功すれば果報がある」「失敗すれば悪い結果を招く」とあれこれ考えすぎて仕事に失敗してしまうことは、私たちの日常においてよくあることです。

後先のことを何も考えずその行為そのものに集中していれば、とても良い結果を得られるということも。

しかし、たとえそれを頭で理解していても、実際に結果を考えずに行為に専念するというのは、なかなか難しいというのも事実です。

では、どうすれば良いか?

クリシュナは、アルジュナに「ヨーガに拠り所を求めるべき」と説きます。

これまで、ヨガや瞑想を実践してこられた方は、このことがとてもよくわかると思います。

例えば、このポーズができた!と喜ぶ。このポーズができない・・・と落ち込む。このポーズがきつい!嫌だ。このポーズは楽だから好き。先生が見ているから気合が入る。誰も見ていないから楽をしよう。

と、いう風に、自分の行為や起こる現象に対して一喜一憂したり心を揺らすのではなく、どんな状況であっても常に一定の安定した心を保つ練習、それがヨガの実践ですよね。

つまり、私たちは、このヨガの実践において、平等の境地を目指しているわけですが、それは一体何のためか。

それは、不安定な心身に振り回されて苦しまないためです。

些細なことから大きな出来事に到るまで、何が起きても平静に、対処し、解決していく力を育てているのです。

執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは、平等の境地であると言われる。


「知性(ブッディ)の確立」=ヨーガの完成

クリシュナは、平等の境地に至る人は「知性(ブッディ)」が確立した人であり、心の最も真相の部分の働きにおいてもなお動じることはなく、結果に束縛されないと言います。

アルジュナは、それは具体的にどんな人なのか?クリシュナに問います。どのように語り、坐し、歩むのか、特徴を知りたい。と。

不幸において悩まず、幸福を切望することなく、愛執、恐怖、怒りを離れた人は、叡智が確立した聖者と言われる。

すべてのものに愛着なく、種々の善悪のものを得て、喜びも憎みもしない人、その人の智慧は確立している。

亀が頭や手足を全て収めるように感官の対象から感官を全て収める時、その人の智慧は確立している。

(人が感官の対象を思う時、それらに対する執着が生まれる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。怒りから、迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生じる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破滅する。)

人は誰でも、ヨーガのもとに、行動・行為することで、平等の境地に至り、知性を輝かせることができるのだと、だから、何も考えずにやりなさい、ということなのです。

では、一体どのようにして、ヨーガのもとに行動・行為に専心すれば良いのか、その具体的な方法について、次回は書きたいと思います。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第2章「不滅の存在」

みなさんこんにちは!

ヨギー、特にアシュタンギーには是非いつか読んでもらいたい聖典「バガヴァッド・ギーター」とは、どんな物語なのか、一体どんなことをどんなふうに多くの人々に伝えようとしているのか、ということを、とってもわかりやすく解説してくれている上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を使って、紹介しています。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 序章「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第1章をまだ読んでいない方は、そちらからご覧ください。

 

さて、ここからはいよいよ賢者クリシュナがアルジュナに教え説く内容をみていきます。

「敵側にいる自分の親類や友人たちを殺してまで自分は生き延びたいとは思わない」と言ったアルジュナにクリシュナはこう答えます。

「賢者とは、死者についても生者についても嘆かないものだ」

それはなぜか?

「我々は、存在しなかったこともなく、存在しなくなることもない」

実は私たちは、永遠不滅の「主体」、生まれたり死んだりしない存在であって、ある一定期間、ある身体に入り込んで、ある時期をすぎると、その身体を捨ててまた別の身体に入るということを永遠に繰り返しているものである、というのです。

「個人の主体となるものは、その身体において少年期、青年期、老年期を経て、また別の身体を得る」

ここでの主体というのは、いわゆる霊魂みたいなもののことです。

その霊魂が、ある肉体に入り込んで(生命誕生)、少年期、青年期、老年期を経て、やがてその肉体が死に至る時、主体である霊魂は、その肉体を脱いで別の肉体へと入り、また同じように、「人生」を歩む。

それを繰り返すことを「輪廻」と言います。

この「輪廻」という思想は仏教にも取り入れられているので、日本人であれば馴染みのある話かなと思います。

「しかしながら物質との接触は寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り無常であるので、それに耐えよ」

そして、肉体を持つ限り、物質との接触は避けられず、寒暑や苦楽を体験することになるし、生まれれば必ず死ぬわけなので、私たち生きとし生けるものは全てそれに耐えるしかない。ということなのです。

クリシュナは、肉体は滅んでも個人の主体は常に存在し不滅であるから、この戦いにおいて彼(相手)が死んでも、彼の主体は存在し続ける、だから嘆く必要はない、と言っています。

生き物は、輪廻の道理によって生死を繰り返しているのであって、どのような死に方をするかも輪廻の道理によるわけで、そのような不可避のことに嘆く必要はない。

だから、たとえアルジュナが相手を攻撃することで、相手が死に至るとしてもそれはそういう輪廻の道理によるものだと。

でもアルジュナとしては、人を殺すことは悪いことであって、悪いことをすれば、その罪は消えない、と恐れます。

それでは、ギーターは人殺しも戦争も良しとしているのではないか?という疑問も湧いてきますね。

でも、決して人殺しや戦争をここで勧めているのではありません。

ギーターでは一般的な道徳を守るべきだということも説いていますので、これはあくまでこの状況においての表現であることを誤解なきように。

日常的なレベルで「生」も「死」も同じだと言っているのではなく、ある非常に高い境地に達したときにそれらは同じものになり全てが平等になるということなのです。

しかも「戦うことが義務」である、アルジュナのような戦士が、戦地で、自分の恐れや悲しみという感情に振り回され、自分の義務を放棄することは、かえって罪悪を生むだけでなく、不名誉なことだと人々に語り継がれ、結局は苦しみが大きくなる、だから戦うべきだとクリシュナは言います。

さあ、追い込まれたアルジュナ、一体どうすればよいのでしょうか?

その答えは、次回またお話しいたします。

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「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 第1章

さて、「バガヴァッド・ギーター」が、インド人にとってどんなものか、そして日本人にとっても実は馴染みやすそうなものだということはおわかりいただけたのではないでしょうか?

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 序章はこちらからお読みください。

バガヴァッド・ギーターは、世界最大の叙事詩「マハーバーラタ」の一編で、舞台は親族間で起こった大戦争でしたね。

「マハーバーラタ」は、全体的に「時間」「死神」「運命」などを表す言葉「カーラ」に支配される人間の虚しさを軸として、おびただしい数の物語や神話、伝説が盛り込まれています。

そしてその中の一編「バガヴァッド・ギーター」には、

この世に生まれたからには、たとえどのような行為であっても、自分に定められた行為に専心すること

でそのような苦悩を超越できるのだ、というような哲学的宗教的なことが書かれています。

ギーターは約二千年間にわたり、インドの知識人に計り知れない影響を与えました。

そしてフランス語や英語、ドイツ語などで書かれた翻訳、研究書、紹介書などもおびただしい数になり、インド国外でも高く評価され、多くの芸術家や文学者からも愛されてきました。

ギーターは、ヨーロッパなどではそれほど影響力のあるものなのですが、残念ながら日本ではインドの文化や宗教に関心がある人にしか知られていないのが現状です。

ということで、「バガヴァッド・ギーター」とは、どんな物語なのか、一体どんなことをどんなふうに多くの人々に伝えようとしているのか、ということを、とってもわかりやすく解説してくれている上村勝彦さんの著書「バガヴァッド・ギーターの世界」を使って、紹介しています。

 

今回は、バガヴァッド・ギーターの大まかな内容や物語の流れについて、見ていきます。

バラタという王がいて、そこから子孫ができるんですが、次第に王位継承問題や権力争いが起きて、親族間で領土をめぐり戦争になるところからバガヴァッド・ギーターの物語は始まります。

いよいよ合戦が始まり、争っている二つの軍の一方「パーンダヴァ」に属するアルジュナという戦士が、戦うべき敵軍を見渡したとき、そこに自分の親類や友人や自分の師と仰ぐ人たちが大勢立っているのを見て、嘆き悲しみ心乱され、弓矢を捨てて戦車の座席に座り込みます。

そこで御者を務めていた親友でもある賢者クリシュナ(実は最高神の化身という設定)は、心の弱さを捨てて戦えと励ましますが、敵側にいる自分の親類や友人たちを殺してまで自分は生き延びたいとは思わない、戦えない、と告げながらも、どうか迷っている自分に教え導いて欲しいとクリシュナにお願いします。

そこから、クリシュナがアルジュナに、様々なことを教え説いていくのですが、それがまさに『ヨギー』としての生き方やそういう生き方をするとどうなるのか・・・、というような、私たちアシュタンギーが追求していくべきことなのです。

だから、アシュタンガヨガを学ぶ人は、このバガヴァッド・ギーターを読むことを勧められるわけなんですね。

ちなみにこの中には、日本の文化や社会で現代に生きる私たちにはちょっとピンとこない内容もありますし、半分は瞑想の実践を行う上級者向けの内容でもあるので、そこは省いて、アシュタンガヨガの初級者にとって、特に知っておくと良いと思える内容のものをピックアップして、ご紹介したいと思います。

  • 不滅の存在(p37~)
  • 平等の境地(p49〜、p121~)
  • 調和のとれた生活(p121~)
  • 瞑想の実践(p109〜)
  • 正しい生き方(p207〜)
  • 三つの構成要素(グナ)(p246~)

こういったことを、賢者クリシュナはアルジュナに教え説いていきます。

その結果、最終的にアルジュナの迷いは消え、激戦ののちアルジュナ側の軍の勝利に終わりました。
ということです。

さあ、いよいよ次回からは、クリシュナが説いた内容についてその項目ごとに、紹介します。

「バガヴァッド・ギーター」〜ヨギーが読むべき聖典〜 序章

アシュタンガヨガのプラクティショナー(実践者)が、ヨガ哲学を学ぶとしたら、まず最初に読む(学ぶ)べきものは「バガヴァッド・ギーター」であると、現在のアシュタンガヨガの総本山マイソールの師であるシャラート先生はおっしゃっています。

そしてそれは、一度読んだだけで「知識を得た!理解した!」と言うようなものではなく、何年もかけて、何度も読み、自分の成長の段階とともにその言葉の持つ意味が「変化」していく「人生のバイブル」のようなものだと。

アシュタンガヨガを一生懸命実践している皆さんが、今後、興味を持って学ぼうとした時に、あまりにその内容が難解で投げ出してしまい、たくさんの恩恵を受けるせっかくのチャンスを逃してしまわないように、オススメの本を使って、この「バガヴァッド・ギーター」を紹介したいと思います。

今回参考にした本は、*上村勝彦さんがサンスクリット原典を訳した「バガヴァッド・ギーター」、そしてそれをさらにわかりやすく解説した「バガヴァッド・ギーターの世界」です。

この方の文章は、とにかく語り口が優しくて、解説もわかりやすいので、小難しい文章が苦手な方にも大変おすすめです。

*東京都浅草寺支院に生まれる。サンスクリット文学、インド哲学・思想を研究し、もっとも難解な言語と評されるインド古典語サンスクリット語(梵語)による文学作品を非常に分かり易く、親しみやすい日本語で考察した著作は、高い評価を受けている。(Wikipediaより)

さて、インドの人口の80%を占める宗教は「ヒンドゥー教」です。みなさんはヒンドゥー教のことをどれくらい知ってますか?

ヒンドゥー教は「ヴェーダ」という古い聖典を奉ずるバラモン教が元となってできた宗教です。

インド料理屋さんに行けばお店のインテリアとして飾ってある「シヴァ神」とか「ガネーシャ神」などが有名ですね。正直私はせいぜいそのくらいしか思い浮かばなかったんですが、ヒンドゥー教やインドで信仰されている神様は他にも色々あります。

そして実は、日本人が昔から信仰したり崇めたりしてきた神様は、こういったヒンズー教の神様が元ネタになっているものが多いんです。

  • アスラー(バラモン教でいう悪魔)→ 阿修羅(悪魔)
  • デーヴァ(最大の神)→ 帝釈天(神々の王)
  • ヤマ(地獄の死神)→ 閻魔(地獄の王)
  • サラスヴァティ(水の女神、芸術の神)→ 弁財天(七福神の一人)
  • マリーチ(インド密教の女神)→ 摩利支天(陽光の神)
  • ハーリティ(地母神)→ 鬼子母神(毘沙門天の部下の妻)

そのほか影響を受けている神として

  • 毘沙門天(七福神の一人)→ 梵天(ブラフマー)の孫
  • 那羅延金剛(金剛力士の一人)→ ヴィシュヌ神がモチーフ
  • 大黒天(七福神の一人)、千手観音、十一面観音 → シヴァ神がモチーフ

このように、私たち日本人は、実はヒンドゥ教の神々に囲まれて、そうとは知らずに拝んでいる人がほとんどだという事実が「バガヴァッド・ギーターの世界」に書かれています。

さて、そのヒンドゥ教は、世界に広がる5大宗教の一つです。

その5大宗教とは、「ヒンドゥ教」の他に「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」「仏教」ですが、ヒンドゥ教はこの中で一番古い歴史を持つ宗教でもあります。

この年表を見てわかるとおり、ヒンドゥ教の元となるバラモン教が生まれたのが今から遡ること5000年の紀元前3000年なんです。

大まかにいうと、その1000年後にユダヤ教、その1600年後に仏教、その600年後にキリスト教、その500年後にイスラム教が始まったということです。

ヒンドゥ教やインドに根付く「ある思想」は、仏教の教え(*仏陀のオリジナルの言葉)を通じて日本に入り日本の宗教や文化に多大な影響を与えました。

*仏陀のオリジナルの言葉・・・仏教の中で様々な宗教が生まれ、各宗教団体に都合の良いように修正されて内容が変わってしまったものも多く(小乗仏教など)。「原始仏教」「大乗仏教」はブッダのオリジナルの教えに近いと言われている。

その「ある思想」というのは、次のような思想です。

『絶対者(最高神)と思われるものは、姿形なく、目に見えず、すべてのものに遍満し、私たち個々人のうちにもその性質がある。』

じゃあ、先ほど登場したヒンドゥ教の神様たちはなに?!って話なんですけど、これはヒンドゥ教に限らず、こういった神話は自然現象や歴史上の出来事を始め、普通の人には理解できないような事などを、伝承していく過程で生まれたものなんですが、もちろんそれを信じている人はいるわけで、それがいわゆる信仰心というものな訳です。

こういった思想について書かれているのが、インドで最もポピュラーな「バガヴァッド・ギーター」です。

ヒンドゥ教の聖典にもたくさんいろんな種類のものがありますが、「二大叙事詩」と呼ばれる、言うなれば超大作の「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」がとても有名で、そのうちの「マハーバーラタ」、これは全部で18巻あり世界最大級の叙事詩です。

「マハーバーラタ」は、バラタ族という一族の間の大戦争を中心とした話で、その中の第6巻におさめられたある一編が「バガヴァッド・ギーター(神の詩)」です。

先ほど、インド人の間で最もポピュラーだと言いましたが、ユダヤ教やキリスト教には聖書が、イスラム教にはコーラン、仏教には法華経や般若心経があるように、ヒンドゥ教ではバガヴァッド・ギーターを人生のバイブルとしている、ということなのです。

「バガヴァッド・ギーター」が、インド人にとってどんなものか、そして日本人にとっても実は馴染みやすそうなものだということはおわかりいただけたのではないでしょうか。次回は、バガヴァッド・ギーターの大まかな内容や物語の流れについて、見ていきます。

参考文献

 

「心を浄化」ってどうやるの?!アシュタンガヨガ・心の浄化のプロセスについて

アシュタンガヨガは心身を浄化します。
・・・と、言われても、一体どうやって?!どんな理屈?と思いませんか?

体の浄化については、YouTubeチャンネル「アシュタンガヨガを動画で学ぶ」の中の座学などで触れているのですが、心の浄化についてはあまり詳しくお話ししていないので、今回は、私の実体験を元に、心の浄化のプロセスについてお話ししてみたいと思います。


アシュタンガヨガを始めて起こった変化

【ケースその1】

アシュタンガヨガを始めた当初、私はなぜかとても怒りっぽくなっていました。自分の正義に当てはまらない他人に対して怒りが湧いて仕方ないのです。
ですから、ヨガをしているのにこんなに気持ちがギスギスするなんて、やってる意味あるのかな?と思ったことがあります。

【ケースその2】

アシュタンガヨガのハーフプライマリーをコンスタントに練習していた頃。
最初は自分一人でDVDを見ながら練習していましたが、ある時からスタジオに通うようになりました。すると、気がついたら、他の生徒さんと自分を比べるようになりました。
「あの人より自分の方ができている」「あの人はあのポーズできるんだ!すごい!羨ましい!」と比較ばかりして全く集中できなくなって、苦しさを感じるようになりました。
楽になるためのヨガなのに、苦しい思いをしないといけないなんて本末転倒じゃないか・・・、と思いました。

<心の浄化プロセス1>「煩悩エネルギーの表面化」

『エネルギーは自分の意識の方向に流れる性質があるので、普段から怒りっぽい人はさらに怒りっぽくなり、物欲やお金に囚われている人はさらにその傾向が強くなる』

と言われています。


(2006年11月10日発行 Yogini vol.9より)

 

ですので、私の場合、このアシュタンガヨガの練習によって「怒り」や「プライド」といった煩悩エネルギーが刺激されて表面化したのだと思われます。
私はなぜこれらの煩悩が強いのか、その原因について子供の頃を思い返して考えてみました。

【ケースその1】

私の父親が非常に真面目で、自分にも他人にも厳しい人でしたので、その影響が大きいと思うのですが、私も他人に対して厳しくなってしまうところがかなりあったと思います。
「自分はこうしてるのに、なぜあの人はできないんだろう」とか、自分の基準に当てはまらない人を許せない。そのことを誇りにさえ思っていたと思います。
でも結局、その感情が出てきた時に苦しい思いをするのはいつも自分でした。
私にとって、他人への怒りは苦しみでしかなかったのです。

【ケースその2】

三人姉妹の真ん中で、いつも比べられて育ったこともあり、私はとても「競争心」が強かったと思います。
常に優秀でなければ可愛がってもらえないと思い込んで育ったのです。
動機がそういうものなので、やりたくないことや楽しくないことも無理に頑張ったりして、その先にある成功体験や自分自身の達成感などがあまり感じられないままでした。正直苦しかった思い出ばかりです。
そういう中で「競争心」ばかりが育って、自分が楽しむためではなく、人より優れていたいというプライドばかりが強くなっていました。
その切羽詰まった感情は、苦しみでしかありません。

そのようなことを、私はアシュタンガヨガの練習やその他の学びを通して気がつくことができました。
つまり、それによって自分を苦しめている煩悩を自然に表面化していたのです。

<心の浄化プロセス2>「ありのままを受け入れ、その後の言動に注意する」

自分の性格のネガティブな部分に気がつくと、多少なりともショックを受けます。受け入れがたい真実。短所と長所は表裏一体とも言えると思うのですが、私には「人に好かれたい」という欲の強さもあり、人より優れていたいプライドや自分に対する怒りも手伝って、このままではいけないという気持ちになったのでしょう。「変わりたい!」と積極的に思うに至りました。その後は、自分の立ち居振る舞いや言動に「危険」を感じたら、反省して改めたり、次は気をつけよう・・・と思ったり、その繰り返しです。すぐにそういう部分が直ると思ったら大間違い。そう簡単なことではないけれど、「意識する」ということが何より大事だと思っています。

煩悩は薄れてやがて浄化される

【ケースその1】

練習を始めてしばらくしたら、いつのまにかその怒りっぽいところがマシになっていることに気がつきました。
今でも同じようなシチュエーションに出くわした時、一瞬火がつきますが、「おっといけない、いけない、これは私の悪い癖だ」と、そのつきかけた火を吹き消す余裕ができてきたのかな?と思います。少なくとも、当初のように苦しいと感じるようなことはなくなっています。

【ケースその2】

自分がどのくらいできているのか、ということや、自分よりも練習が進んでいる人のことが全く気にならないか、と聞かれると「気になります!」というのが本音です。
ただ、以前のように「焦り」や「嫉妬」といったネガティブな感情はあまり出て来ず、「尊敬」や「信頼」という感情が芽生え、それによってやる気を起こして練習を楽しめるようになりました。

アシュタンガヨガは、体の中に火をおこして、ネガティブなエネルギーをどんどん燃やして、そして最後には浄化されるシステムです。
そして最終的には、ネガティブな感情が生じにくい穏やかな心を持てるようになります。
(アシュタンガヨガは、そういう独自のアプローチをしているだけで、他のヨガも同じく最終的にいきつくところは、サマディ(三昧、解脱)です。)

原理としては、自分の持っているネガティブなエネルギー(心を煩わせ苦しめる煩悩)が表面化するので、とってもわかりやすいし対処しやすい。
表面化した煩悩を、客観的に受け入れる訓練をしていれば、いつしかその煩悩は抗うことをやめ、消えてしまいます。
それが浄化と呼ばれる所以です。

もしここで、自分のネガティブな感情に目を向けずにごまかしていると、何が自分を苦しめているのかがわからなくなってしまいます。
あるいは、自分のことを棚に上げて他人や何か別のことを原因にしてしまって、それに納得がいかない相手とトラブルが起きます。

さて、アシュタンガヨガを始めたあなたが、いつか「私って嫌な人間だなあ・・・苦しいなあ・・・」と感じることがあれば、そんな部分を浄化するチャンスです。
その時は、とりあえず難しいことを考えずに、ただひたすらアーサナを練習してみてください。浄化するまでどのくらいの時間を要するかは、その人の煩悩がどのくらい強いかによって異なりますので、焦らずに、その時が来るのを楽しみに練習を続けましょう。

そのうち、これまでよりもずっと生きやすくなっていることに、気がつくはずです。