自然の摂理・法則に従う生き方

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今から10年以上前の話ですが、ハワイやヨガやサーフィンに出会った頃、自分は自然の中の一部であるのだなあという実感を持つようになりました。それから、これまで色々とありまして、不自然な生き方をすることになったり・・・もあったのですが、結局はゼロに自分を戻し、もう一度原点に帰って生き直そうと決心したのは、やはりヨガという考え方が既に自分の中にあったからなのかもしれません。

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「日の出とともに活動をはじめ、日の入りとともに身体を休めること。自然の法則に従って生きていれば、間違いを起こすことはない。お前はお天道様に恥じることのない生き方をしているか?」といういつかの父の言葉は、その頃の私の”迷う心”を鋭く突いたのですが、そういったタイムリーに自分に刺さる言葉たちが、当時の私を本来とおる道へと戻してくれたのかなと思うのです。

タイミングってあるんですよね。嘘をついたり、ごまかしたりして生きていたらそのタイミングに気づかない。そういうときの目は濁り、耳は遠く、勘は鈍くなっている。聞く耳を持たない、、という表現がありますが、人の言葉に耳を傾けられない時の心は、常に怒りの感情がメラメラ燃えていて何に対しても反発している。そんな苦しくて仕方がない窒息状態でいったい何ができるの?という感じです。

私はその時、藁にも縋る想いで父の言葉に耳を傾けたから、自分を全て受け入れることができたのかもしれません。

認めてからは、色々なことが自分の思うように運んでいきました。それは、周りに動かされているというよりは、自らそうしているという実感がとてもありました。それは、スムーズに目的地へ行く道が見えていて、しっかりと自分のペースで自分の足で歩いているという実感です。(もちろん、いろいろな方の力添えあってのことです。)

今まで、そんな生き方をしてこなかった私にとっては、それがとても衝撃的な変化でした。ですが、産まれてからずっとその”道”が見えている人も世の中にはいます。そういう人は生まれながらにして、本来の人の生き方を知っている人なのかもしれません。私は、そのことに気づくのに人生の半分近くを使い、たくさんの人たちを悩ませ苦しませ、同じくらい傷ついて、漸う・・・ということなのでしょう。

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“自業自得”

結果には必ず原因があり、自ら行った善悪の行いの報いは必ず自分が受けることになるという仏教用語です。

私が蒔いた種は、いたるところで芽を出しています。良い芽は大切に育て、悪い芽は早目に摘む。良い種をたくさん蒔いて、悪い種は蒔かないように努力をする。悪い芽は見つけたらすぐに摘み取れるように常に心をパトロールしておく。

自然の法則に従って生きるというのは、簡単に言うとそういう生き方なのではないかと私は思っています。

ヨガの八支則の中のヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)では、そういう生き方のための具体的な心構えが示されています。

そういったものを参考にしたり、実践しようと試みるだけでも何か発見があるかもしれませんね。

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